先祖のカルマを一人で背負ってきた父——富士市・小長井家の因縁を三六九の儀で解いた9年の記録

【この記事の要約】
父の事業不振、借金、飲酒、家族への怒りに悩んでいた香苗さん。
御神言によって、小長井城に関わる家系のカルマと、七代前から続く介錯の因縁が明らかになりました。
三六九の儀と祈りを重ねることで、家族の父への見方が変わり、父も次第に穏やかな姿へと変化していきました。

父を責めるためではありません
この体験談は、怒りを抱えていたお父様を責めるためのものではありません。
また、家系や先祖を怖がらせるためのものでもありません。父の事業不振、借金、飲酒、家族への怒りの背景に何があったのかを御神言で明らかにし、三六九の儀と祈りを通して、家族の父への見方と関係が変わっていった記録です。一人で家系の重荷を背負ってきた父を、責めるのではなく、祈りによって理解と感謝へ戻していく体験談としてお読みください。


はじめまして、静岡県富士市に住む香苗と申します。大上先生・道子先生に初めてお会いしたのは9年前のことです。

富士市は源平の合戦で知られる富士川が流れ、戦国時代には数々の戦場となった土地です。その重いカルマの大地で生まれ育った私の家族が、三六九の儀から始まったカルマを清め続け、困難から抜け出して夢を実現するまでの記録を綴ります。

9年間という長い時間の中で、父が変わり、家族が変わり、私自身の世界の見方が根底から変わっていきました。

  • 先祖の因縁が「父の事業失敗・飲酒・家族の緊張」として現れていた背景
  • 戦国時代の介錯役人・小長井家に流れる7代の因縁の構造
  • 三六九の儀を受けた後、父と家族にどんな変化が起きたか
  • 「神様と一つになって祈る」という境地に至るまでの9年間
目次

父の事業が傾き始めた頃——実家を覆っていた緊張

9年前、私は長男という新しい命を迎えて、家族で幸せな日々を過ごしていました。一方、実家では解決の見えない出来事が次々と起きており、両親は生活することが精一杯の状況でした。

父は30代後半で会社を立ち上げ、順風満帆なスタートを切っていました。しかし不景気の波が押し寄せてから次第に経営が回らなくなり、借金をして立て直しを図ろうと懸命に働いていました。

その頃から、父の飲酒量が日に日に増えていきました。夜中まで飲みに出かけ、十分に眠れず、朝早くに仕事に出て夜中に帰ってくる。子どもが生まれてやめていたタバコも再び吸い始め、家庭内でも大きな声で怒ることが増えていきました。家族みんなが父の体を心配しても、聞く耳を持ってもらえない日々でした。

そうかと思えば、私の前でだけ「お母さんを幸せにしてあげられないのが悔しい」と涙を流すこともありました。きっと父もこのままではいけないと気づいていた。でも、どうにもしようがなかったのでしょう。

今思えば、あの頃の父の苦しみは——7代にわたる家系のカルマが一人の肩に集中していた——ことの現れだったのです。

三六九の儀との出会い——母の知人の「腫れあがった顔」

転機は、突然訪れました。

母の知人から「あなたたちのご先祖様の影響で私の顔がこんなに腫れてしまった。とにかく早くご先祖様を清めなさい。一緒に東京の先生の所へ行って」と連絡が来たのです。まるで蜂に数十箇所も刺されたように腫れあがった顔を見た母は、よく理解できないまま、急遽新幹線で大上先生・道子先生のもとへ向かいました。

これもご先祖様と神様の導きでした。

母が戻ってくるとすぐに姉と私は呼び出されました。

「いい?よく聞いて。私たち動き出すよ!ご先祖様のため、ご先祖様が苦しめた人々のために、お祈りを始めるよ。あなたたちの世代、この子たち孫の世代にも、ご先祖様の作ったカルマは流れ続ける。今、その流れを変えられるなら動き始める。一緒に動いてほしい。」— 母の言葉

話の内容を理解したというより、母の真剣さを受け取りました。今が大きく動く時だという直観と共に、その日から「祈り」を始めることにしました。

小長井家の歴史——七代前の介錯役人が背負ったカルマ

なぜ、私たちの家系にこれほど深い因縁が流れているのか。先生方との拝察を通じて、その根本が明らかになっていきました。

介錯役人・小長井山城の上(コナガイヤマシロノカミ)

私の祖父から七代前のご先祖様は「小長井山城の上(コナガイヤマシロノカミ)」と呼ばれ、当時、介錯の役目を賜っていました。富士市がある富士川流域は関東と関西を分ける要の地として、戦国時代には強軍の影響を強く受けてきた土地です。

  • 介錯(かいしゃく)…切腹する人のそばに付き添い、刀を腹に突き刺した瞬間に首を斬り、死を助ける役目
  • 小長井城…戦国時代の富士市周辺に存在した城。関東・関西の争いの要衝となった土地

介錯という役目に携わるため、ご先祖様は神を信心し、仏の供養も怠りなく修業していました。家をあげて祭り事をし、神との繋がりを大切にしていたのです。

代が変わるにつれ、修業が途絶えた

しかし代が変わるにつれ、心と精神が堕落し、修業を怠るようになっていきました。「自分たちが偉く、自分たちがすごい」という傲慢さが生まれ、神との繋がりも薄れていったのです。

その頃から、処刑されて亡くなった方々が霊界へ行けなくなりました。恨み・無念・生きることへの執着を持つ御霊たちがこの世に残り、土地の人々と小長井家の子孫に影響を及ぼすようになったのです。

父の事業を立ち回らなくさせたのも、この家系のカルマの表れでした。「早く本来の役目に気づけ!」という御霊たちからのメッセージでもあったと、後に知りました。

「首切り族」という言い伝えが、すべて繋がった

先生から拝察を受けたとき、これまで家系に伝わってきたバラバラな話が、一本の線として繋がっていく感覚がありました。

  • 「自分たちは首切り族だ」と面白おかしく語り継がれてきた言い伝え
  • 家に刀が存在していたという話
  • 代々、男性が短命だという事実
  • それに気づいた祖母が熱心に信心し続けてきた姿
  • 親族が作った家系図に「小長井山城の上」が記載されていたこと

真実を隠すように絡まり合っていた紐が、スルスルと解かれていく感覚でした。母が「なぜ私は父と結婚したのか謎で仕方ない」と言い続けてきた理由も——この家系のカルマを解くお役目があったのだと知ったとき、腑に落ちたようでした。

三六九の儀と、父の背骨の清め——変化が起きた順序

早急に儀を受ける必要が出てきました。父の背骨のお清めでした。家系のカルマの上に、父個人の過去生からの影響も重なり、傲慢な意識が刻まれていて、母と私たちにも影響が出ているとのことでした。

まず変わったのは、父ではなく私たちだった

儀を受けた後の変化は、意外な順序で起きました。

最初に変わったのは父ではなく、母・姉・私自身でした。

これまで父には何を言っても聞く耳を持たない、怒る、怒鳴る、体調は悪化する——それに耐えられず、父を何とか変えようと必死だった私たちが、父個人だけの問題ではなかったことに気づき始めたのです。

父の肩には7代前から続く家系のカルマが重たくのしかかっていた。その目に見えないカルマの重圧の中で、父個人ではどうにもしようがなく、誰にも気づいてもらえず、分かってもらえず、必死に生きてきた——そのことをようやく知ることができました。

父に対して、怒りではなく慈しみの思いを向けるようになりました。この環境下で4人の子どもを育て生き抜いてくれた父に、改めて感謝の気持ちが膨らんでいきました。

鬼のように怒っていた父が、優しいおじいちゃんになった

母や姉、私からかける言葉が変化すると、父も段々と柔らかくなっていきました。まるでこれまで自分を守るためにがっちりと装備していた見えない鎧を、ゆっくりと下ろし始めたようでした。

鬼のように怒ってばかりだった父が、今は目頭の下がった優しいおじいちゃんになりました。

9年が経ち、ご先祖様から流れてきた家系のカルマの重圧から解かれた父は、今は自身が作ってきた今生のカルマと病に向き合い始めています。当時の父の張りつめた様子と緊迫した家族の空気を思い出すと、母の直観と行動力ですぐに儀を受けて、ここまで清め続けてこられたことに心から感謝しています。

見えない世界が、見え始めた——私自身の変化

家系のカルマを解き始めた時から、私の生き方は変わっていきました。

それまでの私は「まずは自分の力を伸ばすことが未来につながる」と信じ、勉強もスポーツも仕事も、寝る間も惜しんで努力を重ねてきました。しかし先祖との繋がりを実感し始めてから、「自分とは何だろう?」という問いが生まれてきたのです。

道子先生との最初の会話は、今でも忘れられません。

「もし、誰かが目の前で困っていたら、あなたは助けてあげますか?」「はい」「では、ご先祖様(見えない存在)が目の前で困っていたら、助けてあげますか?」「はい……」「見える私にとっては、見える人も見えない人も同じなんですよ。」— 道子先生の言葉

そのまっすぐな瞳を見て、私の中に一筋の光が走りました。これまでは自分が理解可能な範囲だけで人の役に立とうと制限していたことに、ハッと気づかされました。

赤ちゃんが「祈りが届いている」ことを教えてくれた

当時0歳の赤ちゃんがいる生活でしたが、毎朝のルーティンに「祈り」を取り入れ始めました。祈りの言葉・言霊・般若心経を唱え、台所の棚に小さな神棚と水・米・塩をお供えし始めました。

元気に動き回る息子でしたが、毎朝、祈り・言霊・般若心経を唱えている時間だけは、私に抱かれてとても穏やかでニコニコしていたのです。赤ちゃんは神様のところからこの世界に生まれたばかりの存在で、神様と見えない世界に繋がり続けています。その子が落ち着いている様子を見ると、祈りが届いているように感じられました。

「神様と一つになって祈る」という境地へ

大上先生から教わったのは、「自分自身が祈りを届けるのではなくて、神様を通して祈りを届けてもらう」ということでした。

「祈り」には「神の意に乗る」という意味が重なっているそうで、神様の導きによって清めていただくのです。それを知ってから、私は独りよがりな願いではなく、「神様と一つ」になって祈れているかどうかを意識し始めるようになりました。

祈ると身体が温かくなり、続けていきたい時間へと変化していきました。いつしか、清まっていったご先祖様や御霊たちが、今度は私たち子孫を見守ってくださる強力な存在となっていくことを体感するようになっていったのです。

義実家との亀裂、そして和解へ

カルマを解き始めた私に、神様が与えてくれた次のテーマは「義理の実家」との向き合いでした。

9年前、義実家が家を建て直すかどうか、私たち家族も一緒に暮らすかどうかというテーマが浮かび上がりました。義実家の土地は、亡き祖父と戦後の苦労を乗り越えた先代が取得したものでした。

義実家は旧家で、目の前には竹に縁ある神社がありました。大上先生に相談すると、その土地には古い因縁と、報われていない御霊たちが残っていることが分かりました。参拝を続けていくうちに、義実家の関係も少しずつ変化していきました。

今では週末に義実家に遊びに行き、両親とご飯を食べ、お酒を飲みながら色んな話をして盛り上がる関係になっています。子どもたちの学校のお迎えも協力してもらい、すっかり甘えている嫁です。

義実家の目の前にある神社への参拝を、9年間続けてきたことが、この変化の基盤になっていると感じています。

9年間を振り返って——カルマは、解ける

カルマを背負っていた父、そのカルマを解くために結婚した母。2人の長年にわたる大変な苦労と、儀を受けてからの変化を改めて振り返ると、自然と涙が出てきます。両親のもとに生まれてきたことに、感謝しかありません。

そして、ここに生まれると決めた私たちも、勇気ある存在だ!と誇りを感じています(笑)

見えない世界に驚いていた9年前の私が今振り返ると——私たちは見えない世界の上に、見える存在として生きているのです。不思議でもなく、怖いでもなく、当たり前のこととして。

  • 父の事業失敗・飲酒・怒りは、7代前の介錯役人・小長井家の因縁が一人の肩に集中していた結果だった
  • 三六九の儀を受けた後、最初に変わったのは父ではなく、私たち家族自身だった
  • 9年かけて祈りを続けることで、鬼のような父が優しいおじいちゃんになった
  • 「神様と一つになって祈る」——儀の後の実践こそが、現実を変える力になる

※この体験談は2022年に執筆されたものです。


同じような苦しみを抱えている方へ

父親の暴力・飲酒・事業の失敗・家族の緊張——それが先祖の因縁によるものかどうか、まずはご相談ください。初回のご相談は無料です。宗教への勧誘は一切ありません。

お問い合わせ後、通常3営業日以内にご連絡いたします。


よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次