大きな空虚感~孤独で辛い日々~
やすこさんの体験談です。
こんにちは。やすこです。
長年、目に見えない重荷を背負って生きてきました。一見、私の人生は順調に見えたかもしれません。自分の夢を叶え、管理栄養士の資格を取得し、仕事でもキャリアを築いてきました。旅行を楽しみ、マラソンにも挑戦し、恋愛も経験しました。外から見れば、普通に充実した生活を送っているように見えたでしょう。
しかし、心の奥底では、大きな空虚感に苦しんでいました。子どもの頃から、自分を受け入れることができず、失敗や不完全さに対して厳しすぎる自分がいつもいました。特につらかったのは、失敗すると自分を責め、時には自分を殴って痛めつけるほどの苦しみでした。「みんなはどうやってこの感情と向き合っているのだろう」と、
孤独で辛い日々を過ごしていました。
救いを求めて、様々なセミナーに参加し、カウンセリング・コミュニケーション・スピリチュアルなど、学びに何百万円も投資しました。少しずつ変化はありましたが、根本的な解決には至らず、いつも一人ぼっちの寂しさと、「なぜうまくいかないのか」という疲れを感じていました。
このように、表面的な成功と内なる苦しみの狭間で揺れ動く日々が、私の日常でした。
人生の転機を告げる、予期せぬ出会い
そんな転機となったのは、7年前のこと。
友人が主催する食事会で、大上先生・道子先生と出会いました。その頃の私は、長年勤めた病院を、うつ状態で退職した後、個人でインターネット販売に挑戦していた時期でした。うつ状態は少しずつ改善していましたが、初めての独立は、精神的にも経済的にも本当に厳しい日々でした。
最初は、食事会への誘いを断っていたのです。お金も時間も余裕がなかったからです。
それでも、なぜか友人が再度、熱心に参加を呼びかけてくれて、内心、「もう誘わないでほしい」と思いながらも気持ちよく参加することにしました。食事会は予想以上に楽しく、新しいご縁もいただき、心が温かくなる時間となりました。
しかし、帰宅後、友人から衝撃的な連絡が入りました。
「帰り道、駅のトイレで吐いてしまった」
さらに、「道子先生も体調が悪化した」
最初は「食あたり?」と単純に心配になりました。ところが、友人の話はまったく予想外のものでした。
「やすこちゃんのご先祖様がたくさん来ていた。
そして強く訴えてきたから具合が悪くなった」
一瞬、「何を言っているの?」「そんなことがあるの?」と戸惑うしかありませんでした。しかし、不思議と私の心の奥底では、「ご先祖様が何か伝えたいことがある」という直感だけは確かに感じたのです。
先祖の訴えに耳を貸す
何がなんだかよくわからないままに、御神言を受けました。
それまで私はご先祖様のことをあまり意識したことがなかったのですが、なぜか、父が作った家系図のコピーが手元にあることを思い出し持って行きました。
御神言では、面識のない父方の亡き祖父が、先日の食事会で先生方に強く訴えかけていた、ということがわかりました。まずは父に訴えたが伝わらず、次に私に訴えたけれど、私が全く気づかなかったから、視えない存在を認識できる先生方や友人に訴えたのだそうです。
そして衝撃的だったのは、祖父は事故で亡くなったと聞いていたのに、実は自ら命を絶ったということ。祖父は還れずに深く苦しんでいたのです。何とかしなければと強く感じました。
当時私は、祖父が亡くなった年齢とちょうど同じくらいでした。父方・母方ともに武士の家系であり、武士のカルマを背負ってきたことや、私の前世の生き様と死に様を聞いた時、今の苦しみの理由が腑に落ちたのです。
前世の私は武士で、役割を十分に果たせず藩が破れたことを深く責めていました。戦いで死んだ仙台の地で育つ不安もあったこと、そして今生は自らの才能を開き、過去の責めから卒業することの大切さを知りました。
驚きながらも、何の違和感もなく、むしろすーっと腹に落ちる感覚でした。
最初は、三六九の儀は「お金がかかるから」と躊躇しました。
御神言は診察、三六九の儀は治療。御神言を聞いただけでは何も変わらないことは理解していたのです。
決定的だったのは、3日連続の不思議な出来事。
1日目:階段から大の字で落ち、膝を怪我
2日目:駅で人のスーツケースが怪我した脚に当たる
3日目:駅で前の人の靴を何度も蹴飛ばす
普通では考えられない出来事。鈍感な私も「何かおかしい」と気づきました。
「足元を清めよ」というメッセージ。
足元とは先祖、自分の命の大元(ルーツ)です。
友人の言葉を通じて、ついに私は覚悟を決めたのです。
先祖の因縁に向き合う覚悟を決めた
三六九の儀に向かう私は、言葉にできない複雑な感情に包まれていました。決意はしたものの、心の中には不安と期待が渦を巻いていたのです。
一体何が起こるのだろうか?
慣れない筆ペンで、震える手で祈願文を一文字一文字、丁寧に書きました。間違えまいと必死の集中。
塩盛りを終えて、お祈りの時間。【三六九の儀】が始まると、予想もしていなかった感情の洪水が突然押し寄せてきました。涙が止まらず、声はかすれ、祈願文を読み切ることに必死でした。
最後に唱えた般若心経。
これまでほとんど馴染みのなかった経文が、不思議なほど自然に、先生方と息を合わせて滑らかに唱えられたのです。
三六九の儀の後、衝撃的な発見がありました。道子先生を通して、私の守護神は八幡様であること、生まれ故郷の仙台、「大崎八幡宮」の八幡様にずっと見守られてきたことを知らされたのです。さらに驚いたことに、「般若心経が上手だね。前世から唱えていたんだよ」と言われ、言葉を失いました。
儀を終えて、私の心は達成感に満ち溢れていました。
苦しんでいた祖父やその他のご先祖様を救うことができた。その実感が、全身を駆け巡りました。
「先祖の因縁は解決、完了!」そう確信して、静かに帰路に着きました。
魂の故郷へー守護神との再会と祈りの旅
儀から1ヶ月後、まさに自分の守護神と知った八幡の神様にご挨拶したい衝動に駆られ、故郷へと帰りました。
大崎八幡宮に参拝し、大鳥居の前に立った瞬間、予想外の感動が込み上げ、涙が静かに頬を伝いました。神社で涙を流すというこれまでに経験のない出来事。私の内なる魂が、何かに反応していました。心の奥底から湧き上がる深い感謝の気持ちを捧げました。これまで守ってくださったことへの深い感謝と、これからもよろしくとのメッセージを、静かに、そして力強く伝えました。
次に向かったのは、久しぶりのお墓参り。
驚くことに、20年近く訪れていないにもかかわらず、まるで導かれるように迷うことなくたどり着けました。祖父やご先祖様が、私の道筋を静かに照らしてくれていたのです。人生で初めて、これほど深い感謝の気持ちを込めてお墓参りをした瞬間でした。
母方の家系の因縁が妹にも現れた
儀から2ヶ月後、私は首の異変に気づきました。
不安な気持ちで病院を訪れると、甲状腺に腫瘍と嚢胞が発見されました。
結果は幸いなことに良性。今でも穏やかに共存しています。
甲状腺は第5チャクラ、喉の部分にある自己実現のチャクラ。本来の自分自身を生かして生きるためのメッセージが、静かに届いていました。長年、自分を抑え、責めて生きてきた私。このチャクラが閉ざされてしまっていたのです。
儀によって、重たいカルマの荷物を下ろした後に、私自身の課題が浮かび上がってきて、癒す必要があることを教えてくれたのです。家系のカルマが重いと、自分自身と向き合うことさえ難しくなることをこの時初めて知りました。
半年後、妹が体調を崩しました。もともと繊細な妹は、パニック障害のような状態に陥り、仕事さえ困難になってしまったのです。先生方の助言は予想外でした。
「母方の儀を行うタイミング」
先祖の因縁は解けた!と思っていた私は、驚きと共に新たな決意をすることになったのです。妹は母方の血を強く引いており、母方の影響が大きく現れていたのです。
母方の【三六九の儀】を行った後、妹の変化は驚くべきものでした。半年も経たないうちに、妹は元気を取り戻し、仕事を継続できるようになりました。さらに驚くべきことに、彼女が勤めるパン屋さんまでもが繁盛し始めたのです。お塩でお店の土地を清める、ということをしてくれたのです。
1億円の投資詐欺〜人生の転換点〜
儀を行ってから半年後、予想もしない大きな試練が私を襲いました。所有していた不動産が投資詐欺であることが発覚し、家賃収入は途絶え、銀行ローンも払えなくなったのです。不動産会社からの封書を1週間も放置するほど、状況は深刻でした。
「もう親に顔向けできない」
「死ぬしかない」と、
絶望の淵で苦しみもがいていました。
億単位の損失。一人では到底受け止められない重圧に、毎日涙に暮れる日々でした。そんな苦しみの最中、大上先生、道子先生が大きな私の支えとなってくださいました。逃げ出したくなる私を、優しく、そして力強くサポートしてくださったのです。今、振り返るとこの出来事は、私にとって最大の学びと成長のturning pointだったことに気づきます。この時期があったからこそ、私は自分自身を生きることができるようになったと思います。
試練を超えてー霊性と気づきの時
不動産投資詐欺により、私は清算するという選択をしました。一度リセットして、やり直すことを決意したのです。
その後の3年間は、苦しみと喜びが交錯する、私の生き方を根本から変える貴重な時間となりました。「自分一人で生きているのではない。神様に守護されている。愛を体現して生きる。」これらが、私に与えられた大切な学びでした。
最初は苦しさから抜け出したい、ただただそんな思いでした。
「助けてー!」「救ってほしい」という叫び。
詐欺を働いた人への怒りと恨みもぐるぐると渦巻いていました。
先生方の教えで、塩盛りを始めました。
驚くべき二つの体験を共有します。
<第一の体験 – かぼちゃの形>
お塩を盛って一晩置いたら、形が変化し、中央に浮き出た部分はまるで「かぼちゃ」のように。
所有していた不動産は、「かぼちゃ」という名前に関係があったので、驚いてしまいました。先生方に報告すると、この変化は投資詐欺の深層を物語っていたのです。
<第二の体験 – 燃えない半紙>
塩盛り後の半紙を20回も火をつけても、一部しか燃えない。紙なのに燃えないという不思議な現象。
先生方が教えてくれました。ここには多くの人の想念が渦巻いていると。詐欺被害に遭った数百人の感情が、半紙に宿っていたのです。
祈願文に書いたのは、この事件に関わるすべての人のカルマ。「騙した側も、助けてくれた側も。すべての関係者の最善の未来への祈り。」関係者への怒りや恨みがまだ渦巻いていた私ですが、涙を流しながら、自分自身と、この事件に関わった人々を赦す旅でもありました。
塩盛りが教えてくれた本当の私
塩盛りの他に、毎日お祈りを欠かさず、該当物件(清算しても尚私が所有者だった)に定期的にお塩でお清めに行ったり、その土地の氏神様にお参りに行っていました。物件から氏神様までの道のりでは、カタカムナウタヒをあげながらゴミ拾いもしました。
そんな日々を3年ほど続けていると、思いもよらない変化が訪れました。
諸々の手続きがスムーズに進み、物件の入居率が上がるなど、普通では考えられないような奇跡的な出来事が次々と起こったのです。これも、祈りと塩盛りによって守っていただいた結果だと実感しています。
この経験を通じて、私は大切なことを学びました。それは、自分のためだけでなく、より大きな視点で人々のために祈り、応援することの大切さです。「みんなで良くなろう」という思いが、自然と芽生えてきたのです。
家系や土地のカルマに縛られていると、本来の自分らしさに気づかないのです。でも、カルマが解けていくにつれ、魂の光に導かれるような体験をしました。幼い頃から無意識に自分にかけていた制限に気づき、それを少しずつ解放していったのです。
この頃、「魂の覚醒メソッド」(旧「魂の光」)講座で学びを深めることで、自分のタイプを知り、活かせるようになったこともあり、人とのコミュニケーションが格段に楽になりました。
自己否定の気持ちが薄れ、他者との違いを楽しめるようにもなりました。自分に力がみなぎってきた私は、お弁当販売やおむすび講座の開催、起業塾への参加、畑を借りての野菜作りなど、様々なことに挑戦しました。時にはしんどい経験もありましたが、これも必要な学びだったと思います。
三六九の儀は、終わりではなく、新たな始まりだと教えていただきました。自分では背負いきれない家系のカルマを清めた後は、直接神様とつながり、日々のカルマを清めていく。その大切さを、今になってようやく深く理解できるようになりました。
家族の絆が深まる ~先祖との出会いが結んでくれた温かな関係~
これまで私のことを中心にお話ししてきましたが、三六九の儀の後、家族にも素晴らしい変化が訪れていました。
以前の我が家は、どちらかというと個々の生活を大切にする、といえば聞こえは良いですが、お互いに深入りしない家族でした。今は離れて住んでいますが、電話やメールのやり取りも少なく、お互いの胸の内を明かすことも稀でした。
ところが儀の後は、まるで重い荷物を降ろしたかのように、家族一人一人の表情が柔らかくなってきたのです。コロナをきっかけに、家族全員が参加するLINEグループもでき、日々の些細な出来事も気軽に共有できるようになりました。日常の会話そもそもなかったのが、普通に何気ない会話を楽しめるようになりました。年に一度、家族旅行も楽しむようになりました。
そして、特に印象的だったのは、両親の変化です。
母は般若心経を驚くほど早く覚えて毎日唱えていますし、父は氏神様に足を運ぶようになりました。それまで神社の存在すら気にかけていなかった父の変化には、正直驚きました。
さらに嬉しい変化は、家族で先祖のことを語り合えるようになったことです。祖父母の時代、そしてもっと遡った先祖たちの生き方や想いに触れる機会が増え、家系図を作り直すことにも。一人一人の人生に思いを馳せることで、先祖との心の距離がぐっと縮まりました。
私が突然、先祖のことを口にし始めた時は、両親も戸惑っていたようです。墓参りもしばらく行っていなかったのに、突然、先祖先祖と言い始めたからです。でも今では、先祖を敬う気持ちを家族で共有できるようになりました。この変化に心から感謝しています。私自身も、家族との関係が深まることで、お祈りや塩盛りの意味がより深く感じられるようになりました。家族の絆が深まることで、自分の命のルーツである先祖との繋がりも一層強くなっていくのを実感しています。
第二の転機 ~結婚への扉が開いたとき~
初めての儀から4年が経った頃、思いがけない変化が訪れました。それまでの私からは想像もできなかった「結婚したい」という気持ちが、まるで春の訪れのように自然と芽生えてきたのです。
20年という長い一人暮らしの間、恋愛はしても結婚については後ろ向きでした。「自由な時間が減る」「経済的な制約が増える」など、どちらかというとマイナスに考えていたように思います。ところが不思議なことに、「誰かと暮らす生活も素敵かもしれない」という新しい期待が湧いてきました。もちろん、長年の一人暮らしから共同生活への不安はありました。でも、かつての秘密主義な自分とは違い、誰かと人生を分かち合うことへの期待が、その不安を上回るようになっていたのです。
思えば、コロナ禍での経験も大きな影響を与えていたのかもしれません。緊急事態宣言や県をまたぐ移動の制限で、大切な人たちと自由に会えない日々。その経験が、人とのつながりの大切さを改めて教えてくれました。「一人の生活も素敵だけれど、誰かと人生を共に歩むのも素敵かもしれない」そんな新しい私の物語が、静かに、でも確実に始まろうとしていました。
神様からの贈り物 ~新しい家族への道のり~
結婚を決意してからは、まるで神様が用意してくださったかのように、驚くほどスムーズに進んでいきました。出会いから婚約、そして結婚までの道のりは、まさに導かれるように進んでいったのです。
最も印象的だったのは、プロポーズの翌日に起きた出来事でした。
長年の課題だった不動産物件が、競売で売却できたのです。その時の私の胸の内には、「これで次のステージに進んでいいのだ」という確信が芽生え、感謝の涙が止まりませんでした。私が神さまの導きに沿ってここまで来るのに、4年の月日が経っていました。
結婚が決まってからは、夫となる人の家系の儀も執り行っていただきました。私は大上先生・道子先生のお手伝いをしながら、結婚によるカルマの影響を見てきました。実際、結婚が決まった直後から様々な困難に直面するカップルもいらっしゃいました。早めに家系のカルマを清めることで、スムーズに結婚生活をスタートできた方々も見てきました。
ですから、私は早めに儀を行いました。
新型コロナウィルスの影響で、両家の顔合わせには様々な制約がありました。しかし、不思議なことに緊急事態宣言の合間を縫うように、タイミングよく両家へ挨拶を済ませることができました。特に印象深かったのは、夫が私の家系のお墓参りに同行してくれたことです。このことが、先祖様からの祝福につながったのかもしれません。両家の挨拶も和やかな雰囲気で進み、感謝の気持ちでいっぱいでした。
お相手の家系の儀の際にいただいた御神託。
この言葉の深い意味を、今になってより深く理解できるようになりました。私たち両家とも、これまで神様との繋がりよりも知恵や理性を重んじて生きてきました。神さまと共に生きていくことの大切さを実感しています。今、私たちは先祖様への感謝と敬いの心を大切にしながら、新しい家族を築いています。これまでの経験すべてが、この瞬間につながっていたのだと実感しています。
四年間の学びを経て、私は大きく変わりました。本当のわたしに出会うことができました。そして今、その学びと経験を活かしながら、夫とともに新しい家族の物語を紡いでいます。
あなたの人生にも、きっと先祖からのメッセージが届いているはずです。
メッセージに耳を傾けてみてはいかがですか?
お読みいただきありがとうございました。
あなたのお話・お悩みをお聞かせください。