【逆縁に嫁いだ私の体験~苦悩から光へ~】

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逆縁に嫁いだ私の体験 ~苦悩から光へ~

※この体験談は2020年に執筆されたものです。
はじめまして、美由紀と申します。まずお伝えしたいのは、ここに書かれる出来事や思いが、今では私と家族にとって乗り越えてきた過去として支えになっていることです。そして家族が成長し、お互いに理解を深め合える現在があるからこそ、こうしてお話しすることができます。

約7年前、ある先生方との出会いが私の人生を大きく変えるきっかけとなりました。私はその先生方を通じて、先祖のカルマを清め、家族と土地に宿る因縁を紐解き、癒していくことを学びました。それまで、私はお盆やお彼岸にお墓参りをする程度で、ご先祖様を意識して日々を過ごすことなどありませんでした。しかし、それがどれほど大切なことかを痛感する出来事が、私を待ち受けていました。

今日は、嫁ぎ先の家系に絡む深いカルマと、それに立ち向かった私の体験についてお話しします。

私が夫と出会ったのは学生時代、テニスサークルの体験会でした。その瞬間、不思議な懐かしさと運命的なものを感じ、「この人と結婚するかもしれない」と直感したことを覚えています。私は長女で夫は長男。互いに家系を継ぐ責任を背負って育ちました。

私たちの結婚は決して順風満帆ではありませんでした。家族の反対もあり、一時は別れも経験しました。それでも最後には夫の強い思いに心を動かされ、結婚を決意しました。夫の家を初めて訪れたとき、私は何も知らず、その先に待ち受ける数々の困難を想像することもありませんでした。

結婚生活が始まってから、私は次第に体調を崩すようになりました。肩こりや頭痛、発熱に加え、心身ともに不調を抱える日々。それでも愛する夫との新生活に希望を見いだし、家庭を築くために懸命に努力しました。しかし、義父母や親戚間の不和、家庭内の問題、次々と起こる病気や事故…。次第に私は「何かがおかしい」と感じ始めました。

ある日、義父の過去に起きた人身事故や夫の叔父の自死といった、家族の中に潜む重い出来事を知りました。それは、ただの不幸ではなく、もっと深い因縁の一部であると感じずにはいられませんでした。

娘が生まれた頃、私の体調はさらに悪化しました。それでも、母としての愛情だけを頼りに、育児と家事に没頭しました。息子を授かったとき、義父母は非常に喜びましたが、私はその背後に隠された重い家系の因縁をまだ知らなかったのです。

夫婦間の不和や、子供たちの病気、私の体調不良…。すべてが積み重なり、心身共に追い詰められていく中で、私は「この家系に何か大きな問題があるのではないか」と直感しました。そして、治療院の先生方とのご縁をきっかけに、私の人生は大きく動き始めたのです。

私が体調を崩し始めてから長い間治療院に通っていました。

しかし、どんな治療を受けても体調は良くならず、むしろ悪化していくばかり…。そんな私を見かねた治療院の先生が、ある日「霊障が原因かもしれません。専門の方に相談してみては?」と背中を押してくださいました。その言葉に、何か心がピンと反応しました。すでに心も体も八方塞がりの状況だった私は、藁にもすがる思いで大上先生と道子先生に会いに行くことを決意しました。

初めての予約日は大雪でキャンセル、二度目は義母の実母が亡くなり再びキャンセル…。そしてようやく、三度目の正直で先生方にお会いする日を迎えました。しかし、その前夜、私は奇妙で恐ろしい夢を見たのです。

夢の中で、私はトイレから出られなくなりました。必死にドアを押し開けようとするのですが、細くて骨ばった腕がドアを押さえ、出られないようにしているのです。その夢から目覚めた私は、息も荒く、恐怖に包まれていました。「これはただの夢ではない…」そう直感しました。何かが私を邪魔している。それでも意を決して、治療院の先生の車に乗り、東京の先生方のサロンへ向かいました。

そこで明かされたのは、私がこれまで知らなかった家系の深い因縁と土地にまつわるカルマでした。

私の嫁ぎ先の家系は、戦国時代に半農半士として戦に参戦していました。そして、その地で死亡した兵士や半死状態の兵士を埋めるという役割を担っていたのです。その際、彼らの甲冑や金品を搾取し、それらを生活の糧としていたと言います。土地には数え切れないほどの兵士の遺骸が埋まり、御霊たちの怨念が渦巻いていました。彼らはこう訴えていたのです。「末代まで祟り続けてやる」と…。

この土地で起きていた義父の事故や家庭内の不和、子供たちの病気、私自身の原因不明の体調不良…。それらの原因が、土地と家系のカルマにあることを初めて知りました。

先生方は、私にこう伝えてくださいました。

「この土地と家系のカルマを清めることが、あなたの人生の使命の一つです。そしてその過程で、あなたと家族は大きく成長するでしょう。」

この言葉を聞いたとき、私の中で使命感が湧き上がる一方で、恐れや不安が押し寄せました。しかし、解決の糸口が見えたことで、希望の光も感じました。

先生方の助けを借り、先祖のカルマを清め、土地を癒やす儀式が始まりました。大きなカルマを抱える土地の浄化には時間がかかり、祈りや行動の継続が求められるものでした。その中で私は、次のような課題を与えられました。

1. 墓を一つにまとめること。

2. 家族が財産や土地に執着せず、真の愛で結ばれる家庭を築くこと。

3. 精神的に自立し、夫婦で助け合うこと。

4. 実家を出て自立する経験をすること。

また、夫婦のカルマについても重要なメッセージがありました。私たちは前世でも夫婦でしたが、子供を授かれなかったことで引き離された関係でした。夫の執着心は、前世で果たせなかった「家族を守る」という思いから来ていると教えられました。

儀を始めてから7年。

少しずつ家庭内の不和が解消し、私の体調も子供たちの病も落ち着いていきました。義父母の健康状態も安定し、家族全体が穏やかな日常を取り戻しつつあります。

現在、私は夫と別居し、子供たちと三人で生活していますが、家族の絆は以前よりも深まりました。夫も今では私とともに祈りや塩盛りを続け、子供たちもまた、自分たちの役割を理解して協力してくれるようになりました。

これまでの道のりは決して簡単ではありませんでした。しかし、振り返れば、全てが必要なプロセスだったと感じます。そして何より、全てに感謝の気持ちを抱ける今の自分に気づきました。

次は、さらに深い土地のカルマについてお話しします。神奈川県や秦野市の土地の歴史と、そこに秘められた因縁についても触れていきたいと思います。

土地のカルマ ~祈りを通じた変容の軌跡~

私が嫁いだ家系の土地と向き合い続けた体験についてお話しします。かつて私が住んでいた土地は、戦国時代に多くの兵士が命を落とした場でした。北条氏(平氏系)と源氏が激しく争い、その後も戦国時代を通じて幾度も血が流された場所です。盆地であるその土地は、山々に囲まれ、戦闘の激化とともに多くの犠牲者を生みました。その結果、土地には無念を抱いた兵士や馬たちの御霊が、長い年月を経てもなお、怨念を抱えたまま漂っているという現実がありました。

7年前、大上先生と道子先生のサロンに伺った際、土地からの御霊たちの訴えが大きく、私の先祖に関するご神言に至ることすらできませんでした。その後の三六九の儀では、先生方が御霊たちの苦しみを代弁してくださいました。

土中に埋められた何千もの兵士の無念、命を奪われ、搾取された金品、甲冑、刀…。
その怨念は、「末代まで祟ってやる」と私たち家族に向けられていました。
その話を聞いたときの恐怖と不安は計り知れませんでした。

しかし先生方の「解けないカルマはない」という言葉に背中を押され、祈りと行動を始める決意を固めました。

家族との葛藤、そして祈りの始まり

祈りを始めた当初、夫に全てを正直に話しましたが、彼は聞き入れてはくれませんでした。「そんな話、信じられない」と拒絶されたときの悲しさはありましたが、不思議と私の中には迷いがありませんでした。「待ったなし」で御霊たちの訴えに応えなければならないという思いだけがありました。祈り始めたその日、私は酷い頭痛に襲われました。御霊たちが待ち続けていた時間の長さ、そして彼らの苦しみを身をもって感じた瞬間でもありました。

先生方はよく「解くことは成就することではない」とおっしゃいます。当時の私はその意味を理解していませんでした。三六九の儀はスタート地点に過ぎず、そこからの行動が重要だということを、祈りの実践を通じて徐々に学んでいきました。

土地のカルマの現実と影響

嫁いだ家の土地は、住居と農地を合わせて一千坪もあり、その広さが示す通り、多くの御霊たちが眠る場所でもありました。災いごと、事故、病気、家族間の不和…。それらが土地からの影響だと知るまで、私はその理由がわからず、ただ不安と恐怖に苛まれる日々を過ごしていました。隣家の住人が家の木で命を絶つ、来客の車のエンジンが急にかからなくなる、義父母の病気が続発する…。これらの出来事は、すべて土地のカルマが引き起こしていたものでした。

祈りを通じての学び

祈りの過程で、私は「自力」と「全託」の違いを学びました。当初は、自分だけでなんとかしようとする「自力」で祈り、行動していましたが、思い通りにならないことが積み重なり、自分自身を追い詰めてしまうこともありました。やがて、祈りは結果を求めるものではなく、全てを神様に委ねることが本質であると気づきました。祈りを通して自分を知り、他者を知る。

それは、私が「魂の光プラクティショナー」(現在は「カルマ真理学」)の学びを通じて得た大切な教えでもあります。

現在の生活と感謝

現在、私は夫と別居し、子供たちと三人で暮らしています。しかし、祈りと行動は続いており、週末には夫が私たちの家を訪れ、家族の時間を過ごしています。以前と比べて土地からの霊的な影響は減り、私や子供たちの心身も安定し始めました。それでも、土地やご先祖様への祈りを継続することが、私たち家族の未来を守る鍵であると信じています。土地を清めるために祈れる自分がいること、その自分に気づけたことに、今は心から感謝しています。

次は、祈りを通じて私たち家族がどのように変化してきたのか、さらに詳しくお話しします。
あなたの心にも、愛と祈りが届きますように。

土地と家系に宿る執着と継承の連鎖

私が嫁いだ家系は、代々長男が跡を継ぎ、土地や財産を守り続けることが当たり前とされてきました。その中で育った夫は、一度も家を出たことがなく、「家を守る」という役割を運命のように受け入れていました。長男として土地を継承することは義務であり、家族の誰もが疑問を持つことはありませんでした。

しかし、私は嫁ぎ先で感じた霊的な影響や土地のカルマを知る中で、子供たちには「自由な選択をする人生」を歩んでほしいと強く願うようになりました。土地に宿る怨念の連鎖をここで断ち切り、家族を霊的影響から守るために、転居を決意しました。

転居への葛藤と祈り

転居の話を夫に切り出した際、夫は激しく拒否しました。話し合いの最中に怒りが爆発し、息子が泣きながら父を抑える場面もありました。

夫が抱える土地や家系への執着、そして土地に眠る御霊たちの執念が、私たち家族の自由な選択を阻んでいるように感じました。土地の三六九の儀から2年後、ようやく夫が「子供たちとあなたが出ていくなら構わない」と許してくれました。四人で新しい生活を始めるのが理想でしたが、その小さな一歩を認めてくれた夫に感謝しました。
転居準備の中でも、御霊たちの反発や私自身の体調不良が続きましたが、神様への祈りと先生方のサポートを心の支えに乗り越えました。

祈りの本質に気づくまで

転居後、土地からの霊的影響は軽減されましたが、私は次第に祈りの純粋さを失っていました。「もっと良くしたい」「家族をもっと変えたい」と結果を求め、自力で何とかしようとする思いが募り、自我の中で苦しむ日々が続きました。この過程で私は、祈りの本質を学びました。祈りとは、自分の力で解決しようとするのではなく、全てを神様に委ね、純粋な思いを捧げること。結果を求めるのではなく、今この瞬間を感謝すること。

「魂の光プラクティショナー」」(現在は「カルマ真理学」)の学びを通じて、私は少しずつ祈りのあり方を見直し、心の平穏を取り戻していきました。

家族の変化と新たな気づき

祈りの中で自分自身の意識が変わると、不思議と家族の態度や状況も変化していきました。息子の霊的影響が和らぎ、反抗期の苛立ちが減り、夫も少しずつ心を開いてくれるようになりました。特に大きな気づきは、「期待や不安は執着であり、想念である」という先生方の教えです。私は、自分自身に対する期待が最も強かったことに気づきました。

他者ではなく、自分に向けて想念を送り続けていたことが、心の苦しみを生んでいたのです。

今、そしてこれから

転居して5年が経とうとしています。現在も、家系や土地への祈りを続けています。塩盛りも再開し、結果を求めずに祈ることを心掛けています。離れていても土地とのご縁は続いており、夫がその土地から解放され、自由に生きる日を願いながら祈り続けています。私の人生における使命は、土地や家系のカルマを清め、家族とともに愛を基盤とした生き方を成し遂げることだと感じています。

これからも夫婦のカルマや子供たちの自立に向き合いながら、祈りと愛をもって家族と歩んでいきます。

自分の体験を書くことで、自分自身と向き合い、祈りの道を振り返る貴重な時間を頂きました。
祈りの道が、あなたにとっても平和と愛に満ちたものでありますように。

今は亡き祖父との約束

これまで嫁ぎ先の土地や家系にまつわるお話をさせていただきましたが、私自身の生家に関わるご先祖様のカルマを解き清めるまでの物語をお話しします。

私は長女として生を受けました。両親は東京で知り合い、結婚後もそこで生活していましたが、父が長男として家を継ぐために故郷・千葉県館山市へ戻ることになりました。その頃、母は妊娠していましたが、安定期を迎える前に流産してしまいます。もしその子が生まれていたら、私は長女ではなかったかもしれないと考えると、運命の不思議さを感じます。待望の赤ちゃんとして私が生まれたとき、家族は大変喜びました。

幼少期、私は祖父母と同居していましたが、不思議なことに祖母の記憶はほとんどありません。唯一覚えているのは、病気で布団に座る祖母の姿と、その静かな眼差しだけ。一方、祖父との思い出は鮮明に甦ります。働き者で明るく、頑固だけれど賢い祖父は、私にとって憧れの存在でした。私が好奇心旺盛で手のかかる子供だったとき、全身全霊で愛情を注いでくれたのが祖父でした。祖父がいつも私に言っていた言葉があります。

この家は父親でも誰でもない、お前にしか守れない。頼んだぞ。
当時はその意味が分かりませんでしたが、後にカルマを解く中でその真意に気づくこととなります。

私が生まれて3年後、妹が誕生しました。未熟児で小さく生まれた妹は、甘えん坊でおとなしい子供でした。両親も祖父母も、男児の誕生を望んでいましたが、それは叶いませんでした。そのため、長女である私が、長男のように家を継ぐべき存在として育てられていきました。

幼い頃から、両親に繰り返し言われていた言葉があります。
お前は長女だから、家を継ぎ、私たち親の面倒を見なければならない。
その言葉は、私にとって「呪いの言葉」のように感じられました。

親の愛情が条件付きのように思えて、どうしても受け入れることができませんでした。
自分の意思や選択が尊重されないことへの不満や怒りが、次第に反発や喧嘩となって表れていきました。

親への反発と自分の選択

高校進学を機に、私は地元を離れる決断をしました。両親は大反対しましたが、私は自分の道を進むことを選びました。一方、妹は私とは正反対の道を歩みます。都内で就職するもすぐに故郷へ戻り、地元の男性と恋愛関係になり、その男性を婿として家に迎え入れることになりました。両親は喜びましたが、婿のご両親は悲しみを抱えていました。

「家系を継ぐ」という条件のもと、妹の夫は養子縁組を結び、我が家に入ることを選択しました。

理想と現実の乖離

妹夫婦の結婚生活は、夢や希望に満ちたものになると誰もが信じていましたが、現実は違いました。完全同居の生活の中で、婿養子は次第に両親との会話を減らし、やがて家族間に不自然な緊張感が漂うようになりました。両親は家を避けるようになり、実家には寝るためだけに帰る日々が続きました。

私自身も、妹夫婦との関係が次第に冷たくなり、帰省するたびに疎外感を感じるようになりました。

許せない思いの芽生え

二人目の子供を出産後、私は体調を崩し、実家に里帰りしたときのことです。その夜、母が泣いている姿を見ました。理由を尋ねると、妹夫婦が私たちの滞在を拒んでいると言われました。3日しか滞在していなかった私たち家族に対する冷たい態度に、私は深い悲しみと怒りを感じました。

その「許せない」という思いは、私にとって苦しい執着となり、長い間心の中に残り続けました。

家系のカルマとの向き合い

先生方に出会い、「ご実家は宇宙の法則に反することをしてしまった」と言われたとき、私は初めて家系のカルマを知ることとなります。私たちの家系は、女児しか生まれないことで自然に閉じるべき運命にありました。しかし、「誰かが家を継がなければならない」という思い込みが、さらなるカルマを重ねる結果となってしまったのです。

因縁の始まりとカルマの創造

妹夫婦との確執や両親との複雑な関係、その背後には婿養子を迎え入れたことで生まれた新たなカルマが潜んでいました。「家を継ぐ」「苗字や財産を守る」という目的で、自然の摂理に反した選択をしてしまった結果、私たちは新しいカルマの渦を作り出してしまったのです。本来であれば、家系を閉じる自然の流れを受け入れ、自由に生きる選択ができたはずでした。

しかし、カルマの法則を知らなかった私たちは、家系や土地に執着し、さらなる負の種を撒いてしまいました。

カルマの重さに押し潰されそうになって

先生方から「ご実家は宇宙の法則に反する選択をしてしまった」と指摘されたとき、私は困惑し、受け入れることができませんでした。すでに嫁ぎ先の家系や土地のカルマに向き合っていた私は、実家のカルマまで抱える余裕がなかったのです。さらに、妹夫婦や両親への負の感情が私の心を支配していました。

許せない」という思いが、私自身を縛り付け、苦しめていました。

逃げることでなんとか現実から目を逸らそうとしましたが、カルマの重さは次第に私を押し潰すほど大きくなり、逃避することが不可能な状況に追い込まれました。

母との祈り、そして清めの決意

そんな中、実母が体調を崩し、鬱病を発症しました。先生方に相談し、ご神言と三六九の儀をお願いしました。儀を通じて、母は生きていることや存在していることへの感謝を取り戻し、自ら祈りと塩盛りを始めるようになりました。母の変化を目の当たりにし、私は「もう後回しにするのはやめよう」と決意しました。

母とともに婿養子の家系のご先祖様のカルマを清めることを先生方にお願いしました。

ご神言による気づき

先生方を通じていただいたご神言によると、婿養子の家系は武家の出であり、平家の末裔に繋がる家系でした。武士としての役目を終え、漁師や海運業に従事するようになったご先祖様たちの中には、その変化を受け入れられず、無念を抱えて荒ぶる御霊が多く存在していました。また、私の生家が源氏を支援した一族であったため、平家の家系と敵対する存在だったことも、家系の対立のカルマを複雑にしていました。

「家族一人ひとりが平和となり、互いに助け合えるよう、家系の戦いのカルマを清めよ」という神様の言葉を胸に、儀が執り行われました。

家族に訪れた変化

儀を終えた後、妹夫婦や両親に目に見える変化が訪れました。妹は以前より柔らかい態度で私に接し、連絡をしてくることが増えました。婿養子である妹の夫も両親に話しかけ、家の手伝いをするなど謙虚な姿勢を見せるようになりました。その後、未曾有の台風被害が実家を襲いましたが、家族が協力し合いながら困難を乗り越える姿を見て、私は深い感謝の念を抱きました。

自分の内面との向き合い

その後、姪の甲状腺に腫瘍の疑いが見つかるなど、再び試練が訪れました。同時に、妹と両親との間で感情的な摩擦が起き、私自身も妹に対する複雑な思いを抱えながら対応する日々が続きました。

魂の光プラクティショナー(現在は「カルマ真理学」)として学んでいた私は、この経験を通じて自分自身の内面を見つめ直す時間を持つことができました。愛すること、自分を許すこと、そして他者を応援することの大切さを深く実感しました。妹が苦しんでいたのは、愛されたいと願いながらも愛を受け取る方法を知らなかったからでした。

私自身もかつて同じように苦しんでいたことを思い出し、妹を愛のエネルギーで応援する決意をしました。

母方家系のカルマ清め

そのタイミングで、母方家系のお嫁さんが急逝する出来事が起きました。ご先祖様たちが待ち続けていることを感じ、後回しにしていた母方家系のカルマを清めることを決意しました。ご神言によると、母方の家系は古代の墓守りの役割を担っていた一族であり、その職務ゆえに大きな苦しみや孤独を抱えていた先祖たちが存在していました。

儀を終えた後、心の平穏と守られている安心感が私と母の中に広がりました。ご先祖様のカルマを清めることで、私たち家族は新たなスタートを切ることができました。

長い年月を経て、私は祖父が語った「この家はお前にしか守れない」という言葉の意味を理解し、その約束を果たした実感があります。「お爺ちゃん、約束守ったよ。ありがとう。これからも見守っていてね。」

今は家族との絆や全ての出来事に感謝の気持ちを持てるようになりました。

母と娘のカルマの解消

私の娘についてお話しさせていただきます。娘の成長や苦しみ、そして私自身が親として向き合い、変わるまでの過程について振り返ります。

娘は赤ちゃんの頃からとても敏感で、夜も昼もあまり眠らず、ぐずることが多い子でした。抱いたりおんぶしたりしながら、手をかけなければならない毎日に、初めての育児をする私は困惑し、自分を責めることもありました。結婚前は保育士として働いていましたが、理想と現実のギャップに直面し、「母親として未熟だ」という自責の念が常に心にありました。

その上、嫁ぎ先の土地や先祖からの霊的影響を受け、精神的にも肉体的にも不安定だった私は、娘に十分な愛情を注げていたのか、今振り返ると疑問が残ります。

病気や家庭内のトラブルに翻弄される娘

幼少期の娘は、腸の機能が正常に動かなくなり、便が漏れてしまう病気に苦しみました。家庭内の状況も霊的影響により不安定で、ある夜、夫が霊的な影響を受けた状態で、娘の首を絞めようとする衝撃的な出来事が起きました。その事実を知り、私は深い悲しみと恐怖に襲われました。

後年、娘が高校生の時に見た夢の中でこの出来事を再現し、「夢の中で殺されそうになった」と語ったことに、私は娘が記憶のどこかでその体験を覚えていたのだと気づきました。娘に事実を伝える時が来たと感じ、夫が霊的影響を受けていたこと、そして今も変わらず娘を愛していることを説明しました。

娘は静かに話を聞き、理解しようとしてくれました。その姿に、私は娘の心の広さと成長を感じ、深く感謝しました。

娘が5歳の時、弟が生まれました。娘は大変喜び、「弟が〇〇君で本当に嬉しい」と私に伝えてくれましたが、私自身は息子の出産後に体調を大きく崩し、娘に十分な時間を割けない状況が続きました。テレビの前で何時間も過ごす娘の小さな背中が、今でも心に焼き付いています。

娘の心の中にはきっと、寂しさや悲しみがあったことでしょう。それでも、娘は私に負担をかけまいと、小さな体で耐え、我慢していました。

私自身の苦しみと娘への影響

育児や家庭内の問題に加え、霊的な影響を受けていた私は、自分の理想とかけ離れた現実に打ちのめされ、「自分には何もない」と感じていました。その心の状態が娘にも伝わり、娘も不安定さを抱えて成長していきました。背骨が側湾する奇形が現れたとき、先生方から「背骨には記憶や感情が刻まれる」と教えていただきました。

娘が私の影響を受けていたことに気づき、私は自分を責めて泣きました。

怪我を通じた気づきと変化

成長した娘はダンスを生業とするほどの情熱を持っていましたが、無理を続ける中で足を骨折してしまいました。日常生活さえも難しくなる怪我に直面した娘は、自分と向き合う必要に迫られました。先生方は「怪我は神様からのメッセージ。自分を大切にしなさいという教え」と話してくださいました。

この出来事を通じて、娘は生活リズムを整え、自分を大切にする習慣を身につけるようになりました。
娘が自分を見つめ直し、変化を遂げる中で、私も罪悪感や自責の念を手放すことを学びました。

娘の未来を応援するためには、私自身が成長し、道標となることが必要だと痛感しています。

娘と私が築いた新しい関係

現在、娘は夢を諦めることなく、コロナ禍の中でも自分の人生を前向きに生きています。前世で巫女として祈りと舞いに携わった経験を持つというご神言をいただき、その魂の記憶が現世でも彼女の道を照らしているように感じます。
娘の変化は、私にとっても誇りです。これからも母として愛をもって見守り、応援していきたいと思います。

母の悲しみを引き受けると決めて生まれてきた息子

ここから、私と息子の親子のカルマについてお話しさせていただきます。息子が生まれる前から現在に至るまでの、私たちの苦しみと気づき、そして成長の物語です。

息子の誕生と家系の運命

娘一人で十分だと思っていた私が二人目を産む決心をしたのは、娘の「可愛い妹が欲しい」という純粋な願いでした。嫁ぎ先は男児が家系を継ぐ伝統があり、息子の誕生は大きな喜びとなりました。一方で、私の実家は女系家系。60年ぶりの男児の誕生でもありました。

息子が生まれたとき、私は「天使を産んでしまった」と口にしたほど、彼の存在に感動しました。

ワンオペ育児の中で

里帰りせず、夫の両親と同居する家での育児が始まりましたが、私の身体はすぐに限界を迎えました。母乳がよく出たことがかえって負担となり、乳腺炎を繰り返す日々。ついには高熱と激痛で手術を受けることになりました。手術の日、誰の助けも得られず、赤ちゃんを抱えて一人で帰宅した私。「誰か助けてほしい」と叫びたかったけれど、耐えるしかありませんでした。

そのときの私の悲しみと孤独は、すべて息子にも伝わっていたのだと、今ならわかります。

産後鬱と霊的影響

身体の疲労が重なり、気持ちも塞ぎ込むようになりました。「死んでしまいたい」と思ったのもこの頃でした。土地や先祖の霊的影響もあり、私の精神は崩れ始めていました。息子は生後半年でアトピーを発症。彼の敏感な体質や病気は、霊的な影響と家系のカルマを知らせるメッセージでもありました。

私が限界を迎えたとき、母が遠方から助けに来てくれたり、親しい友人が支えてくれたことがありました。その愛に触れるたび、涙が出るほど感謝したのを覚えています。

どんな苦しみの中でも、愛を与えてくれる存在が必ずいるのだと実感しました。

小児喘息の発症と義両親との葛藤

息子が2歳を迎える頃、小児喘息を発症しました。2週間の入院に付き添った後、帰宅した私に対し、義両親から「甘やかしすぎだ」と否定的な言葉を受けました。まだ幼い息子に必要なケアをしただけなのに、心が傷つき、労いや温かい言葉が欲しいだけなのに、それさえも得られない状況に私は心の中で叫びました。

息子の喘息や土地の霊的影響から来る困難は、私自身へのメッセージでもありましたが、当時の私はその意味に気づけず、自分を責めるばかりでした。やがて外側に幸せを求めるようになり、家庭や子供たちから距離を取ることで、精神のバランスを保とうとしました。週末に友人と過ごしたり、フラダンスにのめり込んだり、現実から逃げることで自分を保っていたのです。

そんな私を、息子はいつも「ママ大好き」と言って支えてくれました。彼の純粋な愛がなければ、私はもっと深い闇に落ちていたかもしれません。しかし、その愛を受け取りながらも、自分のバランスを取ることで精一杯だった私は、息子が抱えていた苦しみに気づけていませんでした。

息子の幼少期と敏感な魂の存在

息子は幼少期から小児喘息を患い、通っていた幼稚園も休みがちでした。家で過ごす時間が長くなると症状が落ち着き、安心して遊ぶ姿を見て、息子の心の安定がいかに重要かを実感しました。彼は敏感で、興味があることには全力で取り組む一方、興味のないことには一切見向きもしない子でした。

その純粋さと情熱が愛おしく、私も息子を守りたい一心で日々を過ごしていました。

学校生活と息子の苦悩

息子は幼稚園、小学校を通じて集団行動に馴染めず、登校を嫌がることがよくありました。その理由が、霊的エネルギーや他人の感情を敏感にキャッチしてしまう息子の性質にあると知ったのは、後になってからのことでした。当時の私はその理解がなく、息子のためを思って塾に通わせましたが、結果的に彼に負担をかけてしまい、ストレスからチックを発症させてしまいました。

この出来事をきっかけに、塾を辞めさせ、夫と話し合い、学習のサポートを家庭内で行うことにしました。

息子の才能と私の気づき

息子は学習が得意ではありませんでしたが、創造力にあふれ、絵を描いたり、ものを作ることで輝きを放っていました。その姿を見て、私は彼の本来の才能を尊重し、伸ばしていく大切さを学びました。一方で、友達や先生との些細な摩擦が息子にとって大きなストレスになっていました。相手の感情や思考を感じ取ってしまう息子は、そのエネルギーを背負い込む形で、自らを傷つけていました。息子を見ているうちに、私自身が小さい頃に感じた「いじめ」や「孤独」の記憶が呼び覚まされ、私は息子に自己投影をしていることに気づきました。

この気づきは、自分を見つめ直す大切な一歩となりました。

前世からのカルマと息子の使命

大上先生と道子先生に息子の前世を見ていただいた際、息子がいくつもの前世で、学びと清めを重ねてきた存在だと知りました。彼は武士の子として生まれたこともあり、また庄屋の子として生まれた前世では、慈悲深さとわがままさという両極を抱えながら生きていました。そのカルマを解消するため、今世でも霊的成長を続けているのだと教えていただきました。息子が経験する困難はすべて、彼自身の魂が選び、乗り越えるためのものだと知り、私も息子を信じて見守る決意を新たにしました。

転居と新たな挑戦

息子が新しい環境で中学校生活を送りたいと希望し、私たちは転居を決めました。しかし、転校先の学校は学力のレベルが高く、息子は学習についていけず、再び自信を失ってしまいました。「俺はどこに行ってもダメなんだ」と自らを責める息子に、私はどう寄り添えばいいのか悩みました。大上先生と道子先生に相談し、息子の学校や環境の清めをお願いしたことで、少しずつ彼の状況は改善しました。

高校進学では、自分で選んだ学校に合格し、自分のペースで学びを進める環境を手に入れることができました。

息子の変化と私の学び

現在、息子は自分のペースで学び、好きなことに没頭できる環境を整えています。霊的な影響を受けにくくなり、自分を守る術を身につけつつあります。私自身も先生方の「魂の光スクール」(現在は、「大神塾」)で学び、自己愛を育てることで、家族との関わり方が変わりました。

私が変わることで、息子や家族も変化し、愛ある関係性を築けるようになりました。

絆と未来への決意

息子は今もご縁のある場所を清め、祈りという愛の奉仕を続けています。これからも彼が困難を乗り越え、霊的成長を続けていけるよう、私は全力で応援していく決意です。

困難は魂の宝であり、その輝きが周りを照らす力になると信じています。

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